• 1978年
  • 1978年 6月号 No.1

    1978年 6月号 No.1

    37年前、'78年6月に始まった

    創刊号の表紙はモトグッツィのルマンI。今考えても、この1台しかないと思えるチョイス。雨上がりの路面に映るグリーンシグナルと赤いボディの対比が美しい。撮影は以降266号まで、ファッション業界で活躍していた帆足てるたかが務めた。ロゴはゴースト文字。

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  • 1979年
  • 1979年 2.3月号 No.9

    1979年 2・3月号 No.9

    空冷4気筒エンジンに枯葉を

    モノクロで撮影されたCB750Kのエンジンに乗った落ち葉だけが彩色されているというアーティスティックな写真。モノトーンで撮影することでエンジンの重み、硬質感、迫力が表現されている。このひとつ前の号から元GPレーサーの根本健が編集長に就任している。

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  • 1979年 4月号 No.10

    1979年 4月号 No.10

    この1カットのために雪の万座へ

    今ならスタジオで再現されるような写真だが、降り積もる雪を求めてこの1カットのために万座まで行ったという。雪はフルイを使って降り積もらせた。バイクの真上にタングステン灯を吊り下げ、日没前、Bタイプのフィルムで自然光の部分を青く写し取った。

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  • 1979年 6月号 No.12

    1979年 6月号 No.12

    なんと前輪を外して撮影

    当時としては他に類を見ないベネリ250クアトロの250cc4気筒エンジンの精密さと迫力を撮影するために、前輪とフロントフォークを取り外し、トラックに縛り、走らせながらスローシャッターで撮影したという。実は非常に手間のかかっている写真。

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  • 1980年
  • 1980年 2月号 No.20

    1980年 2月号 No.20

    ヘルベチカのロゴ登場

    ゴースト文字の時代が終了し、ロゴはトラッドなヘルベチカに。1980年2月号のこと。ライダースクラブの普遍性を象徴するロゴ選択だったといえる。表紙は箱根ターンパイクを走るBMW R65のフラットツインのヘッド。帆足カメラマンが後席に乗り撮影。

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  • 1980年 6月号 No.24

    1980年 6月号 No.24

    格子金網で工夫して撮影

    ジョン・ウー監督の映画のごとくに飛ぶ鳩は、エサで呼び寄せたという。撮影場所は撮影許可を取って築地本願寺の境内。CB650 Customは当時数多くあったスタンダードなバイクをベースにしたアメリカン。クロスで入る光は格子金網に太陽の光を当てたもの。

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  • 1982年
  • 1982年 4月号 No.46

    1982年 4月号 No.46

    なんと巨大な星条旗を自作

    この時代の写真は本当にすごい。当時のライダースクラブとしては珍しいハーレーのFXRSの登場に、なんと自作した巨大な布製の星条旗を組み合わせて撮影している。アメリカンイメージに、ハーレーらしいホースバックライディングのシルエットが映える。

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  • 1982年 9月号 No.51

    1982年 9月号 No.51

    バイク雑誌だって分かる?

    バイク雑誌として判別できたのか不安になるほどアーティスティックな1枚。帆足カメラマンによるとヨーロッパの生活環境にある石膏像や大理石の彫刻のイメージを反映したかったのだという。トライアンフTSSのタンクを石膏で型取り撮影。逆版で使っている。

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  • 1983年
  • 1983年 4月号 No.58

    1983年 4月号 No.58

    プリントしてパズルを作成

    7年連続でメーカータイトルを獲得した至高のGP500マシン、スズキRGΓを浜名湖近辺の海辺で撮影。それを本物のジグソーバズルにプリント。それを適度に組み立ててから、改めて撮影という凝った作りになっている。ホビーとしての表現……とのことだ。

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  • 1986年
  • 1986年 1月号 No.91

    1986年 1月号 No.91

    グラフィックだけを切り抜き

    少しヘルベチカのロゴが大きくなった。ドゥカティパンタのLツインを工芸品のようにコンパクトなパイプフレームに積み、美しいFRP製のフルカウルで覆ったビモータdb1。そのイタリアンならではの美しいグラフィックを切り抜き処理で強く表現している。

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  • 1986年 9月号 No.99

    1986年 9月号 No.99

    フィルムを撮影する複雑さ

    フレディ・スペンサーの乗った'86モデルのNSR500にシーズン中に試乗。表紙はそのコンパクトさと迫力を、片側からの光源で撮影。さらに、乳白アクリルの上に撮影したカラーフィルムと密着で作ったリスフィルム数枚を少しずらして貼り、バック光で撮影。

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  • 1986年 10月号 No.100

    1986年 10月号 No.100

    デザイン変更すると、いつも赤

    100号記念でデザイン変更。ヘルベチカの文字が全幅に渡る。このデザインを記憶している人も多いのでは? 見返すと、デザイン変更の号はいつも赤い写真が使われている。100号の表紙はドゥカティ750パゾ。Vバンクの間にキャブのある現代ドカの源流だ。

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  • 1987年
  • 1987年 1月号 No.103

    1987年 1月号 No.103

    鏡に映った海辺のビモータdb1

    ヨーロッパで根本健と片山敬済がいろんなバイクに乗って、バイク談義を交わすという素晴らしい巻頭特集に登場したdb1がモデル。やはりエポックなモデルだったのだ。表紙は割れた鏡に映ったdb1。遠いdb1に合焦し、鏡の縁は幻想的にボヤけている。

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  • 1987年 6月号 No.108

    1987年 6月号 No.108

    雷光のようなイタリアン

    ヤマハFJ1200のエンジンを積んだビモータYB5。当時で288万500円と高価なバイク。帆足スタジオのコンポージングストックフィルムを使った合成写真。これを撮った帆足カメラマンは、YB5のペットネーム『Falgore』が雷光を意味するとは知らなかったという。

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  • 1989年
  • 1989年 1月号 No.127

    1989年 1月号 No.127

    レーサーレプリカブームの極

    デザイン変更してライダースクラブロゴを2段に。赤と黒のシンボルはストライプとなり当時としてはモダンなイメージに。表紙は当時200万円で販売された究極のレーサーレプリカ……というかホモロゲマシンのOW-01と鈴鹿8耐で優勝したYZF750の競演。

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  • 1989年 2月 隔週刊化

  • 1989年 2月24日号 No.130

    1989年 2月24日号 No.130

    大忙しの隔週刊行に移行

    レーサーレプリカブームで、どんどんと発売され進化するバイクの最新情報を掲載するために、なんと隔週刊に。その第1号はワークスマシンNSR500と、市販車のNSR250R(まだまだ過激な'89モデルだ)ということで、ホンダエンブレムがテーマになった。

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  • 1989年 11月24日号 No.149

    1989年 11月24日号 No.149

    12色のサトゥルノのホイール

    隔週刊の頃は挑戦的な表紙が多い。巻頭特集が大掛かりなものでなく、テーマを絞ったものであったことも影響している。この表紙はイタリアンシングルスポーツ、ジレラ・サトゥルノの発売1周年記念の12色のカラーバリエーションをホイールで表現したもの。

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  • 1993年
  • 1993年 1月5日号 No.224

    1993年 1月5日号 No.224

    光で描いたオメガフレーム

    日本車として異色のシングル・スイングアーム・フロントサスを備えた先進的高級ツアラーヤマハGTS1000Aがモデル。8~20分ほどシャッターを開け、その間にライトで写したい部分に光を当てるライトペインティングでオメガフレームを浮かび上がらせている。

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  • 1993年 5月 リニューアル月刊化

  • 1993年 5月号 No.229

    1993年 5月号 No.229

    月刊化と扱わなかったカスタムへ

    狂騒的なレプリカブームが終わり、ネイキッドブームの到来とともにライダースクラブも月刊に戻る。バイクの『改造』を好まなかったライダースクラブも、時流に合わせて『カスタム』を扱うことを決意。その第1号として登場したゼファー1100のカスタム。

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  • 1993年 7月号 No.231

    1993年 7月号 No.231

    実は土手からの撮影

    『ヘリからの空撮』と思われているが、実は道に迫った崖の上からの撮影。ヘリの影はプラモデルのヘリの影をケント紙に写して撮影し、そのフィルムをハッセルブラッド(中版カメラ)の中に貼り付けて撮影している。ヘリを飛ばす予算はなくても工夫できるのだ。

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  • 1994年
  • 1994年 1月号 No.237

    1994年 1月号 No.237

    バイクを縦にした独特な構図

    幾夜にも及ぶ打ち合わせの末に、黒い表紙、縦ロゴ、縦写真という斬新な構成となった'94年。悩み多き時代。縦の構図を完成させるために深いバンクが必要で、最後はプロアームとなったNSR250R SEのステップのバンクセンサーを外す必要さえあった。

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  • 1994年 5月号 No.241

    1994年 5月号 No.241

    夕日から飛び出すビモータSB6

    南伊豆のワインディングで撮影。実は狭い空抜けのワインディングで花曇りの日に、側面から光が当たるように撮影している。夕日は別に撮影したフィルムをカメラの中に貼って合成。位置合せが難しく、何度も何度も走らせて撮影したことを覚えている。

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  • 1994年 11月号 No.247

    1994年 11月号 No.247

    写植に戻って、革新的な916を

    編集長は押江義男に交代。隔月の途中からDTP化を果たしていたライダースクラブは、文字組みの美しさを求めて写植に戻る。表紙1年を経ずして再びのデザイン変更。初めて前面写真となる。新時代のコンパクトさと美しさを持つドゥカティ916が象徴的な表紙に。

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  • 1995年
  • 1995年 2月号 No.250

    1995年 2月号 No.250

    『ソラリゼーション』って?

    ヤマハTDM850エンジン搭載の少量生産スーパースポーツOV-15A。鈴鹿のコンストラクター、オーバーレーシング製。シャッター開けてる間に何回もストロボを焚いて、超露出オーバーの状態でフィルムを化学変化させる『ソラリゼーション』という手法で撮影。

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  • 1996年
  • 1996年 1月号 No.261

    1996年 1月号 No.261

    発売されなかった幻のモデル

    1年ほどで押江編集長が去り、元クラブマン編集長の山崎和彦の時代に。リニューアル第1号の表紙はホンダのスーパーモノ644。ご記憶の方は多くはないと思うが、モーターショーでのみ展示されたショーモデルを借りて撮影。夢は広がったが発売されず。

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  • 1997年
  • 1997年 1	月号 No.273

    1997年 1月号 No.273

    全面写真でコルセSB6を

    1年を経て、デザイン変更。再び写真を大きく使える全面写真に。表紙に登場しているのはスズキのGSX-R1100の水冷エンジンを搭載したSB6のカスタムモデル。300km/hを超えるSB6R。その公道版SB6SRで名を馳せたモトコルセによる作品だ。渕本智信撮影。

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  • 1998年
  • 1998年 1月号 No.285

    1998年 1月号 No.285

    富士山5号目でスタジオ風写真

    200台しか生産されなかったラウンドケースの750SS。野外でスタジオのようなライティングを……と、富士山5合目でトップに巨大なレフ板を配して、そこにライトペインティングしながらスローで撮影、真冬の朝焼けと御殿場の街灯りを入れた。大谷耕一撮影。

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  • 1998年 3月号 No.287

    1998年 3月号 No.287

    長時間露光で浮かび上がるdb1

    『熱くなるバイク達』という根本の連載のバイクが表紙になったシリーズ。このシリーズは大谷耕一が撮影を担当。No.287はdb1。長時間露光で光の航跡を写しつつライトペインティング。真冬の箱根の山奥で撮影。中面の湖の洲に置いたカットも幻想的に仕上がっている。

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  • 1999年
  • 1999年 1月号 No.297

    1999年 1月号 No.297

    伝統のゴースト文字が復活

    デザイン変更。ゴースト文字復活。背景はまた赤。デザイン変更の際にはつい強いイメージの赤を使ってしまうようだ。題材はベベルの750SSと996の新旧2台のドカ。編集長はこの後駒井誠一に変わるが、この頃から内容的には故・竹田津敏信の色が濃くなる。

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  • 1999年 10月号 No.306

    1999年 10月号 No.306

    カバーをめくりたい!

    マッシモ・タンブリーニが作り上げた宝石のようなバイク、MVアグスタのF4 Serie Oriが表紙に。ただし、ボディ自体は見せずに付属していたカバーを被ったまま。ボディコンシャスのようにピッタリとフィットしたカバーを陰影で描いたのは帆足てるたか。

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  • 2002年
  • 2002年 7月号 No.339

    2002年 7月号 No.339

    元気のいい走り写真が連続!

    第1期の竹田津編集長時代。ライダースクラブらしい元気のいい走りの全面写真の表紙が中心になっていく。特集も『前輪の恐怖なくします』『曲がれない! その一瞬』とライダーマインドに沿ったホットな内容が増える。カメラは長谷川徹。

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  • 2006年
  • 2006年 1月号 No.381

    2006年 1月号 No.381

    なんと、金髪美女が表紙に登場

    編集長はクラッシュキング高橋サトシに。デザイナーでもある高橋の意向を汲んでライダースクラブは大きく変化する。次の世界に向かうために必要な『破壊』だった。この号からしばらく表紙は金髪女性モデルが登場する。それはそれでセクシーで美しかった。

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  • 2008年
  • 2008年 12月号 No.416

    2008年 12月号 No.416

    またゴースト文字の表紙に

    リニューアルして表紙は三たびゴースト文字に。そしてこの号を最後に高橋サトシから、竹田津敏信に再びバトンタッチ。第2期竹田津編集長時代となる。またリニューアル時に多い赤ベースの表紙はドゥカティのフラッグシップ1098。カメラは柴田直行。

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  • 2009年
  • 2009年 5月号 No.421

    2009年 5月号 No.421

    走りの切り抜きのインパクト

    竹田津編集長時代の象徴的な1カット。『膝を擦りたい!』という、嬉しくも恥ずかしいスポーツライダーの生の本音をテーマとして取り上げ、リードを加えて解説するスタイル。この写真はスタジオで撮影し、コンピューター処理でタイヤを回転させている。

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  • 2012年
  • 2012年 12月号 No.462

    2012年 10月号 No.462

    伝統を受け継ぎ、新しい時代へ

    竹田津編集長はNo.447で世を去り、No.469までは局長であった埜邑博道が編集長としてライダースクラブを担当。No.470からは若くからライダースクラブにいる生え抜きの小川勤が編集長に。過去を継続した新しいライダースクラブに進化。カメラは大谷耕一。

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